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聊城師範学院で日中文化交流会・講演会

中国ツアー期間中、先生・学生らと親しく交わる

 NPO地球文化交流会の中国ツアー(十月十六−二十二日)で、中国の北方・南方両連絡所設立とともにもう一つ大きなイベントが山東省聊城市の聊城師範学院との日中文化交流会・講演会でした。河野喜一理事長が「生活と絵画 生命と精神」と題して講演し、「聊城は楽しみを教える城という意味がある。皆さんは世界に向けて希望を与えられる先生となってください」と語った。また、学院生のかねてから要望の高かった日本のインターネット事情について、当会インターネット・メディア本部長の松濤広徳氏が講演したほか、河野理事長、河野容雄師範による美剣体道と学院の太極拳との武芸交流も行われました。

 

 理事長「楽しみ・希望を与えられる先生になって」と激励

 同学院国際交流センター前には、歓迎の横断幕が張られ、宋益喬副院長らが出迎えてくれ、宋副院長が「今回河野理事長とお会いするのは、この春東京以来二回目で、すっかり古い友人になりました。遠路お越しいただき本当にありがとうございます」と歓迎した。

 地球文化交流会の一行は十月十七日、山東省済南での北方連絡所開設の式典後、泰安市へ。一泊後聊城入りした。三都市は三角形の位置関係にあるが、済南−聊城間は高速道路が整備されているが、泰安市と聊城は一番遠い位置関係にあり、しかも一般道を利用する。また、黄河に架かる橋が工事中で、別のルートを探すこと一時間、ようやく見つけた橋は浮き橋で、水面すれすれの中を渡るなどした。

 河野理事長は、「聊は楽しみ、ですから聊城は楽しみのお城。聊城は、人間がこの世で何が楽しいのかを学ぶところだと思いました。生徒さんには、人生の楽しみを学ぶ姿勢について話ができたらと思っています」と挨拶しました。

 宋副院長はまた、「地球文化交流会がNPOとして初めての海外の活動として聊城を訪ねてくださったことはとてもうれしい。学院と地球文化交流会がいろいろな交流活動をできるよう努力します」と答えました。

 聊城師範学院は今年、創立二十五周年。生徒数は現在一万二千人を数え、山東省で最高の生徒数を誇る。学院では、二〇〇〇年内に師範学院から山東省総合大学となることを目指している。

 会談後、円卓を囲んで歓迎夕食会のひとときを持ち、その後、講堂へ。講堂では、同学院生徒が洋琴、笛、歌、琴、胡弓による中国伝統の音楽を一行のために奏でました。演奏を聴き終えた河野理事長は「音楽至極の道は楽器を忘れるところにある」と感想を述べました。

 翌朝、三十二人の生徒が日本語を学ぶ日本語学科教室を視察。生徒は十八歳前後だが、同年代の日本人に比べどことなく幼さが残り二、三歳若く感じられた。

 先生に促されて教壇に立った理事長は「言葉は分からなくても心は中国の人とつながっています」と挨拶。また、先生は「今度皆さんが来られたときまでには通訳がいらないようにします」と語っていました。

 その後一行は、立錐の余地がないほどの生徒であふれる講演会場へ。前方黒板には、「熱烈歓迎日本学者来我系進学」と横断幕。そして黒板には「生活與繪画 生命與精神」とチョークを筆に似せた書体で講演テーマを紹介。河野理事長は、自らの心象風景を黒板に描いて見せながら、熱弁をふるった。

 講演会後、体育館では、まず河野理事長が河野容雄師範とともに美剣体道の演武を披露。演武の中で、河野理事長は「武道は争いの中から生まれたが、武芸という言葉が示すように舞踊ようにきれいでなければならない」「叩こうと向かってくる相手に対して(それにはむかうのではなく)仲良くなろうと思いで近寄っていく」と美剣体道の真髄を演じて見せた。

 これに対して、聊城市武術協会の丁祖文副主席以下、学院生が太極拳を披露、動静おりまぜた演武を次々繰り広げた。

 文化交流後の昼食会には、趙潤生公務委員会主任(書記長)も顔を出し、一行とともに記念写真に納まっていました。

 

講演
 「生活と絵画 生命と精神」 河野理事長

 人間に本当の楽しみを教えるのが先生です。楽しみとは、希望をもつことです。皆さんは、世界に向けて希望を与えられる人となってください。

 では、どうしたら希望が持てるか。

 まず、「自己を知る」ことです。

 私は二十年かけて、ご飯を食べるのをやめたり、滝にうたれたりして、「自分」を一生懸命捜しました。そうして初めて、人間の中に人間を生かす力があることを知りました。その力が語りかけてくるのです。そして、その声を聞くことができるようになりました。

 出雲の国で、日本で一番有名な絵描きの横山大観の絵を見る機会がありました。その絵を見たとき、これなら私にも描けると思いました。その絵が、心を描いた絵だったからです。

 心を見ることができなければ心が描けません。

 人間に心があるように、木にも、石にも山にも心があります。その「心を見る」ということが「心が描ける」ということです。

 では、心をどのようにして見るのか。
 自分の心は、鏡に映さないと見えません。日本には昔から神道という教えがあり、その中で一番大事な教えが「鏡」です。その鏡のことを「直日(なおひ)」といいました。その直日という鏡は、人間の中に入っています。その鏡に、心を写したり山の心を写したり木の心を写します。

 いまの私の心に何が写るか私にはわかりません。では、これから黒板に向かって鏡に写ったものを描いてみます。(黒板にチョークで描く)

 これが私の心、鏡に写った姿です。心の躍動が現れています。そして、私は皆さんと一緒にどこかに行きたいと思っています。
 その行きたいところが「希望」です。
 そこに人生の楽しみがあります。

  次に日本語について少しお話をします。
 日本語を英語、フランス語、ドイツ語と同じような言葉と思って勉強しても、本当の日本語はわかりません。英語は言葉を並べて意志を伝えます。

 その昔、中国から日本に漢字が伝わりました。その漢字を使って日本語を文字にすることができました。

 日本には昔から神代(かみよ)文字という文字がありました。それはエジプトに伝わっている、曲がりくねった文字と似ています。漢字が入ってきたことで、日本の言葉を漢字を使って表現するようになりました。でも、それはとても難しい作業でした。

 そこで漢字をやさしくかえて「かな」という文字をつくりました。それが「あ(阿)い(伊)う(宇)え(江)お(於)」となりました。
 しかしこのかなをいくら勉強しても日本語はわかりません。かなの一つひとつには、意味があります。
 日本の辞書には「あいうえお」と書いてありますが、私が文字の心から聞いたところによると「あえいおう」と書いたほうが一番理に叶っていると思っています。

 「あ」は光のことです。人間が体を動かすときに「あー」とあくびをする。その「あー」という姿が光になっています。
 「え」は「開く」です。「えー」と心を開いていく。何かわからないときに「えっ」と聞く。これはわからないから開いてください、という意味です。
 「い」は「合」「集」という意味です。「いー」と集めてきます。何を集めてくるかと言いますと、日本語の五十の言葉、「五十音」を集めます。
 「お」は「全体」を意味します。そして「う」は「広げる」を意味し、集めたものを広げていきます。


聊城への途中、浮き橋で黄河を渡る

  「あえいおう」――これを母音といいます。ここから「かけきこく、たてちとつ……」この全部が子音。五十人の子供で日本の言葉ができています。英語のアルファベットです。

 お母さんがいて、子供がいる。でも、お父さんがいません。子供はお父さんがいなければ生まれません。では、お父さんはどこへいったのか。お父さんは心の中にいます。
 心の中の響きがお母さんと結んで子供が生まれます。だからお父様という心がなければ日本語が生まれません。その心が「光」です。

 そこで初めて手を合わせます。そこから「道徳」が生まれました。その道徳は、日本人の生き方です。中国から孔子の教えも入ってきました。日本では孔子の教えを大事に大事にして道徳を教える読本にしました。

 ですから日本人の生き方と中国人の生き方は底辺でつながっています。ところがだんだん世の中が進歩して科学が発達してきますと、人間は勉強や技術を磨くことに忙しく、この道徳を忘れがちです。
 親の恩を忘れ、人の恩を忘れ、農作物の恩を忘れ、大自然の恩を忘れ始めました。

消費者

生産者
消費者

生産者
 人間の世界は三角形です。作物を作る人たちが底辺です。軍隊へ入ったり役所に入ったりして働いている人は頂点です。作物と大地のおかげで頂点は崩れません。
 これが逆になって、作る人が少なくなり消費する人が大きくなる「逆三角形」の構造になったら国はつぶれます。
 今世界中が「逆三角形」の社会構造になっています。だからみなさんは、将来学校の先生になって子供を教えるときに、「逆三角形」にならないよう導いてください。そうすれば中国の国はいつまでも栄えるし、みんなが楽しい国になると思います。